忍者ブログ
2024.11.22
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2010.02.12


ユーチューブアップしました。
和歌山のホテル、萬波さん!(*^^)v
お料理がとても、美味しかったです!中国語で「新鮮」はやっぱり「シンセン」なんですね!



こちらは、関空から和歌山への行き方
外国の人にとって、自動販売機は難しいそうです。
たとえば、領収書が必要かどうかのボタンにしても、せっかく
漢字が共通なので「要」「不要」と書けば意味は分かって
もらえるのに、「あり」「なし」と平仮名で書くから余計に
アジア圏の人に分からなくなっちゃってます。(@_@;)
一番彼らが、びっくりするのは「バスの中にトイレがあること」だそうです。




土産物センター 
「センター」は中国語で「中心」=「チュウシン」(^O^)めっちゃ直訳やん(@_@;)
PR
2010.02.09
和歌山の日本酒の酒蔵、吉村秀雄商店をアップしました。

めずらしい、爆発する日本酒(^O^)おいしかったです。

中国語ですが、なんとなくわかると思います(・_・;)

それにしても、残念なのが、中国本国では、ユーチューブが見れないのです。(+_+)

かわりに、ユークーという、中国の動画サイトにアップしています。
http://v.youku.com/v_show/id_XMTUwNDI2ODI0.html
アサちゃん、スウ君の、親戚&友達ネットワークで、48時間

300回再生されたのには、びっくり(*^^)v

日本でみると、とても遅いですが、データが転送されるまで(赤のラインが伸びるまで)一時停止をして待てば、なんとか見れます。
2010.02.04

動画で関西を世界にPRしよう!プロジェクト (^O^)
まず、活躍中のピーキューブのニューフェイスを紹介する動画をアップしました!
ただし、中国語です(@_@;) でも、なんとなく映像見てるだけでも楽しいかも・・
浴衣教室での奮闘ぶりが、なかなか面白いです。

2010.01.21
動画を使って、関西を外国にPR!~中国編~
という事で、昨日、和歌山に撮影に行ってまいりました!
どうして、和歌山になったかというと、去年の年末、関デジ(関西デジタルコンテンツ事業協同組合)の忘年会にゲストで行ったら、なんとビンゴゲームで1等賞の「旅館 萬波」ペア宿泊券があたったのです (*^^)v
http://www.manpa.co.jp/
で、そこのホームページを見たら、凄くインバウンドに力を入れているではないか(*^_^*)
これも、何かのご縁かという事で、「泊ったついでに、中国語でPRビデオを作らせて欲しい」と申しこんだところ、快くOK(*^^)v
ついでに、和歌山のPR出来るものを探して、他のコンテンツも作っちゃえ!と思い、急きょ、和歌山観光コンテンツを、いくつか作ることになりました。


造り酒屋 吉村秀雄商店さんにて。珍しい、爆発日本酒の開封を体験(・_・;)
新酒もたっぷり味わいました!

中国出身、リュウさん、スウさんの、お笑い名コンビ結成! 浴衣の着方教室ではみごとな、大ボケで笑わせてくれました。

 
近海の海の幸たっぷりのお料理! 至れり尽くせりでした。特にアワビは最高!
坂口社長、堀内さん、ありがとうございました!(^O^)

ちなみに、堀内さん、1人で、日本語はもちろん、中国語、韓国語、英語がこなせる天才!
ノリも、抜群でした。
でも、撮影後、ラーメンをいただきながら、語学習得の秘話を聞いているとさらに、凄い人だと思いました (@_@;) 恐るべし、和歌山県人

他にも、観光協会さんや、インバウンドをやっているWEB制作会社の方などインバウンドを目指す方との素敵な出会いもあり、とっても楽しい旅行ロケになりました。
これから編集(中国語)が大変ですが(@_@;)

2010.01.17

1995.1.17 
阪神大震災のあった、あの日から15年たちました。

昨日フジテレビ系のドラマ
「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間~命と向き合った被災記者たちの闘い~」を見て、改めて自分の当時の様子を思い出しました。

あの頃、私は、「おはよう朝日です」のスタッフの1員でした。 あの日から数日、私は大阪にある朝日放送にカンズメでした。サブ・スタジオの局内スタッフは、レギュラー番組の枠を超え、生放送の帯2番組、「おはよう朝日です」「ワイドABCDE~す」のスタッフが「朝組」「夕方組」の2交代制で、ほぼ12時間づつぶっ通しで担当していた。それ以外の時間は、準備と打ち合わせ。不思議と最初の3日は全く眠れなかったし寝なかった。上から指示された訳でもなく、皆が自分のできることを分担し走り回った。交通手段がなく、来れないスタッフ、被災したスタッフも多かった。私自身、神戸市須磨区に住む両親の生死が分からなかった。親戚が録音してくれた留守番電話で、震災30時間後に、ようやく生きていることを知った。

生で、情報を画面に出せる、テロップの大切さを痛いほど感じた。
「映像がなければ、テレビニュースにならない。映像がなければ、ラジオと同じ」という、当時の常識を覆し映像が無くても、文字やイラスト、図を使って、いくらでも伝えられる事を知った。
偶然、その3カ月前にスタジオの引っ越しをしており、スタジオに大きなモニターがあったことも、大きかった。これで、指をさしながら説明できるし、アナウンサーがしゃべっている時も、大切な情報をできるだけ長く、分かりやすく、目立つように出しっぱなしにすることができる。

「カメラを向けるべきか、カメラを置いて人として手伝うべきか」
この議論は、私たちの間でも2派に分かれ、大声で怒鳴り合うような喧嘩もあった。
私は「カメラを向けるべき派」で、逆に3週間以上たった後でも震災以外の他の
取材に行く気にはなれなかった。

「がれきの中で何を取材すればいいのか」「人の死や壊れたビル、家屋の様子を 報道するだけでいいのか?」
漠然と現地に向かうわけにもいかず、モンモンとしている中、うちの当時のAD、宮原真紀ちゃんが私に言った。「池田さん、ライフラインっていう言葉を初めて聞いたけど、そのライフラインを取材すれば被災地の人にも役立つのでは?」
神の声に聞こえた。
「おはよう朝日です」の会議の席で、早速その事を言うと、皆、参道してくれた。
「水道」「ガス」「電気」「道路」「郵便」の5つに分け、私は長田区の郵便局事情を担当した。今なら「郵便」ではなく「通信」かもしれない。でも、電話が繋がらない中、大量の手紙や物資が被災地に届く。しかし、それを配れる家が無いことも多かった。
瓦礫の山の中に「生きてます。**体育館にいます」と書かれた箱があり、その中に、手紙を1通1通配達員が手で配っていく。
張り紙が無い瓦礫も多い。
それだけに「生きています」の張り紙を見るたびに心が震えた。携帯電話が無かった当時、まさに郵便はライフライン、命と命をつなぐ線だった。

あれから15年。思い出すことも少なくなったのですが、先日、大阪産業創造館さんから仕事についてのインタビューをうけたとき「一番大変だったことは?」と聞かれて、ふと思い出した。あの震災ほど大変な事って、そうそう起るものではない。あの時の、絶望感を乗り越えて来れたのだから、あの時のように、皆で手をとりあって、必死になればどんな困難でも乗り越えられるのでは?と思う。
「水道をひねれば水が出る」ことの幸せを神様に感謝せねば・・・とも思います。

ただ、今まさにその困難の真っただ中にいる人たちがいます。
ハイチです。
http://www.worldvision.jp/news/news_0418.html
これは、私の支援している、ワールドジャパンの募金。
「手を取り合うことの大切さ」を再認識し、ほんの少しですが募金させていただきました。

  BackHOME : Next 
CALENDAR
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
PROFILE


池田由利子

株式会社P-CUBE 代表取締役社長

RECENT COMENTS
[08/24 gawjklgyff]
[08/03 ゆりこ]
[06/14 洋]
[10/12 LANMIN]
[04/10 ゆりこ]





P-CUBE社長ブログ -社長のホンネ- wrote all articles. Copyright (C) 2008 P-CUBE.inc.All rights reserved
Powered by Ninja.blog /忍者ブログ[PR]